あの「バズ部」が、今どうなっているか知っているだろうか?

一世を風靡したバス部旋風

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ブログ歴3年以上のブロガーなら、「バズ部」を知らないことはないだろう。

もう2年以上前だが、バス部の出す記事には、速攻で数百のはてブがたかり、あっと言う間にはてなブックマークのページにトップで掲載されていた。

バス部と言うのはルーシーという会社が運営するコンテンツマーケティング専門のサイトだ。

「バス部」の生い立ちについては、化粧品会社のサイトから引っ越してきたとか、どこかの会社のキャンペーンに動線を張っていたとか、胡散臭い噂を流すブロガーもいたが、個人的にわたしはバス部の記事は好きだった。

今でも新しくサイトを立ち上げる時には、WordPressのプラグインはバス部仕様をまねている。

バス部の姿勢は、それまでのSEOで語られていたバックリンクやキーワードの占有率など、一切無視したコンテンツ重視のスタイルだった。

「リンクなど、クローラーを導くために1、2本あれば十分」

と言い放ち、

「ユーザーの役に立つことだけに注視して記事を書く」

という思想に徹していた。

今では当たり前のように言われることだが、まだブラックハットが生き残っていた当時は斬新に感じられた。

実際、

 「自分が売り込みたいこと」

 「単なる独り言」

 「わたしキレイでしょ!」

的なブログが氾濫している中で、ユーザーの役に立つことを考えるというのは、ある意味、自分の視点ではなく、第三者の視点で記事を見る必要があり、感覚が慣れるまでには苦労したものだった。

しかし、それができたのは、バス部が自信を持ってリリースするブログ記事に魅せられたからだ。

実際、バス部がサポートした観葉植物店はあらゆるキーワードで1位になっており、こういったエビデンスはバス部の実力を知らしめるには十分な力を持っていた。

コンテンツマーケティングという言葉の草分け的存在だったと今でも思う。

今でもよく見かけるブログの締めに「まとめ」の節を設けるスタイルもバス部が走りだったように思える。

バス部が消えたあのとき

記事をリリースするにしたがって、バス部の人気はうなぎのぼりに高まり、そして新興宗教とも言えるほど熱が高まった時あのXeoryがリリースされたのだ。

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バズ部オリジナルのWordPressテーマ。

それまでブログの世界ではStingerとSimplicityの人気が高かったが、みんなこぞってXeoryに変えたせいで、一時ブログの世界はバス部クローンであふれかえっていた。

だがそれも1カ月と続かなかった。

理由は単純だ。わたしもそうだが、Xeoryに変えた途端、検索順位は下がり、アクセス数が減ってしまったのだ。

そしてほとんどのブロガーは元のテーマに着替えてしまった。

リリース当時、バス部は以降、2カ月おきにWordPressのテーマをリリースするといっていたが、そのブログサイトは貝になってしまった。

バス部のサイトから新しい記事がリリースされることは無くなり、当初は様々な噂を呼んだが、時がたつにつれて、バス部自体が忘れられた存在として消えていった。

Xeoryの失敗がバス部を葬り去った。

だれもがそう思ったに違いない。わたしもそうだった。

妙な復活の仕方をしたバス部

2、3カ月前だったと思う。久しぶりにバス部のメルマガが届いていた。開けてみると、あるセキュリティーソフト会社がバス部の指導で桁違いのアクセス数を叩き出しているという動画だった。このセキュリティーソフト会社は外資系であるため、動画で講演していたのは日本法人の社長(?)だが、そのアクセス数と滞在時間に本国の役員が

腰を抜かすほど驚いていることを語っていた。

このとき、わたしが思ったのは

「ビッグクライアントを数多くつかんだから、もう一般向けはやめたというのが表舞台で見かけなくなった理由だったのか」

という、バス部の成功した姿だった。

だが、それは裏切られた。

しばらくして届いたメルマガは、バス部主催のセミナーの告知だった。

一人11万円、定員10名。

「高いと思うか、安いと思うかあなた次第」的なことが書いてあったが、わたしの印象は、バス部はここまで堕ちていたのか、だった。

11万円x10名=110万円。

こんなちっぽけな商売をするようになっていたと知って、わたしの中のバス部に対するリスペクトは粉微塵に消し飛んだ。

コンテンツマーケティングの雄、バス部。

そう思って抱ていた憧れは、地面に染み込む水のように消えてしまった。

だが、わたしはバス部に感謝している。

バス部のおかげで、わたしはコンテンツマーケティングの腕を磨く機会を得た。

そして今がある。

できることなら、あの強烈なカリスマを帯びたバス部の姿で帰ってきてほしい。

今のような復活の仕方を、少なくともわたしは望まない。

 さぁ、どうだろう?

あなたにとって、バズ部はどんな存在だったのだろうか。